大川周明と石原莞爾の所蔵資料を求めて酒田市まで行ってきた話

2019年6月29日に、山形県酒田市へ行く用事がありついでといえばついでなので寄ってきました。

大川周明(酒田市出身)と石原莞爾(お隣の鶴岡市出身)という、太平洋戦争時に世の中に強い影響力を持った二人ですが、その所蔵資料があるということで覗いてきました。

もともとは、光丘文庫に保管されていたようですが、施設の老朽化など?により移転したとこと。

酒田市立光丘文庫所蔵資料の移転について:酒田市公式ウェブサイト 

人物の細かい説明はwikipediaなどに任せますw

大川周明 – Wikipedia
石原莞爾 – Wikipedia

大川周明は民間人で唯一、A級戦犯に指名された人です。

「日本二千六百年史」という書籍を出版しベストセラーになっております。(発禁されたほど物議を醸した書籍)

 

日本二千六百年史 新書版

日本二千六百年史 新書版

 

太平洋戦争の開戦時の首相は、東條英樹で、A級戦犯と言えばこの人という認識かもしれません。

しかし、太平洋戦争へと突入する契機となったのは、満州事変で、その主役となったのは石原莞爾です。

東條と石原は非常に仲が悪く、東條が首相になった時には石原は左遷されており第一線にはおりませんでした。そのためA級戦犯の指名からは逃れたと言われています。

関東軍[注釈 1]が南満州鉄道の線路を爆破した事件 (柳条湖事件[注釈 2])に端を発し、関東軍による満州中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変[注釈 3]。 関東軍は約5か月で満州全土を占領した。
満州事変 – Wikipedia

詳しく書くと長くなるのでこの辺で。。

 

ご注意ですが、市役所からはちょっと離れていて歩いて5分くらいです。ハローワーク酒田を目指していったほうが良いです。

近くに駐車場もあります。

受付けの人に聞けば丁寧に教えてくれます。ちなみに、僕は所蔵資料を探したことなどまったくないので、テンパりました。

まず、閲覧スペースに入り、誰の書籍を読みたいのかを目録から探します。目録とは、書籍名や管理番号などが書いてあるものですが、これだけでもかなりの分量があります。要約なども書いていないので、書籍名だけではいまいちピンと来ません。予め調べておいたほうがスムーズに探せるかと思います。また、目録は、当市役所で購入も可能です。
参考)酒田市立光丘文庫:酒田市公式ウェブサイト

所蔵資料を読むには、館内閲覧申込書を記入し、受付の人に渡せば指定した書籍を持ってきてくれます。

次に、複写や写真撮影についてです。撮影自体は資料等撮影申込書を提出すれば撮影可能です。

しかし、撮影した画像を書籍やウェブサイトに公開してい良いのか?というと、率直に言うと、なかなか厳しいです。

資料撮影は、学術研究上の目的、書籍等の刊行、個人的利用のために使用する場合のみ認めております。
酒田市立光丘文庫:酒田市公式ウェブサイト

お役所的と言ってしまえばそれまでなのですが、使用目的などを聞かれました。「個人の趣味でやっているブログに掲載したい」というと却下されましたorz

いまどき、目録もウェブに公開しておらず、使用目的もほぼ学術研究用途に制限されるなど、不便なものだなぁと感じました。

館内の写真を撮って良いかの承諾を得ようとしましたが、「遠目に撮影するくらいなら構いません。」と微妙な回答を貰いました(笑)

撮影した写真は以下の石原莞爾文庫です。(所蔵資料のごく一部のみ、他の書籍は別の場所に保管されています)。背表紙が外国語で書かれていてパッと見ただけでは何もわかりませんでした(笑)

時間があまりなかったので、「最終戦争論」を読んできました!

 

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 

 

館内閲覧申込書と資料等撮影申込書を提出し、閲覧しつつ撮影してきました。ブログへの画像掲載はNGということでしたので断念します。

世界最終戦争論第一改訂版(立命館出版部発行)というものを拝読。

この書籍自体は復刻版を読んでいたので特に目新しいものはないかと思っていたのですが、違いました。やはり、読んでみて良かったですw

表紙に、「陸軍中将石原莞爾述」とデカデカと書いてあります。陸軍は、国の行政機関なので、簡単に言えば公務員です。公務員が、自分の肩書で堂々と書籍を出版していた事実に驚かされました。

書籍の内容は特に目新しいところはありませんでした。

巻末は、すさまじかったです(笑)

文庫の巻末を読むと、類似書籍が載っていますよね?当書籍にも載っていました。

  • 満州建国と支那事変
  • 東亜連盟建設要綱
  • 日本と国際主義
  • 欧州大動乱と東亜連盟
  • 世界政局と東亜新秩序

と、ヨダレが出そうな書籍名がズラリと並んでいます。当時の情勢が垣間見えます。

そして、東亜連盟協会要項や入会申込書がありました。事務所の住所や電話番号も書いてあります。今風の言葉で言えば、広告や宣伝ですかね?

当時は、当然のごとくインターネットやテレビなどありませんでしたから、書籍を通じて意見や考えを公開し、組織へ勧誘することによって、仲間を増やして行ったのだなと、なんとなく伝わってきました。

所蔵資料の閲覧の仕方はだいたいわかったので、もうちょっと下調べをしてからまた酒田市へ行こうかと思います。

個人的な願望としては、目録などをインターネットで公開し、より開かれたモノにして欲しいなというところです。

 

 

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